修学旅行の朝 今と同じく駅前に集合ぉ~だが、

しかし,なんかが違う
、いまとは・・・

「傷みのクリニック」
で補修前のです

女学生の遠足

「傷みのクリニック」で補修前のです




秋田国体(1961)の2年後、中学の創立10周年記念運動会を

国体の陸上競技が行われた、同じ場所で行われた。


こんな荒れたグランドで国体が行われたことに驚いた。

結果は、1位だったが(ゼッケン2)、翌年行われた

「東京オリンピック」(1964)の100m走に出ないか、

という話は無かったのは不思議と言えないことも無い?


左上にある、茶色の傷みたいなのは

賞状を留めておいたクリップの跡だが、何故かそれは行方不明。


「傷みのクリニック」で補修前のです


「傷みのクリニック」で補修前のです

今はあんまり見ないけど、「写真を撮る日」って必ず

風邪とか引く子がいて、別枠で貼り付けられていた



むかしは、「よく学び・よく遊び・よく働く」って額が

有ったりしたけど、

今なら

額が有ったとしたら、どんなことが書かれているんだろう


左にある乳母車?を押して、祖父は早朝散歩するのが日課だった

いつも決まった店で「森永ミルクキャラメル」を買ってもらうのが

楽しみで毎日ついていった。その店は今もそのまま残っている

写真、撮っておかなくては・・・

いつ頃か誰を撮ったものか確かめるすべはもう無いのだろうか

保戸野小学校の運動会か???

左もこれも、戦前(第二次世界大戦)前と判明。



という事で下の写真がそのお店


角の店

散歩に行ったとき必ず『森永ミルクキャラメル』を買ってもらった店

家の外観は コーラとファンタの広告のついた大きな店名看板の

ほかは子供の頃のままで 窓ガラスはぴかぴかに磨かれ 

植木はきれいに手入れされて 歩道にはみ出ないように 切られていた 

歩道の雪は いつもきれいに寄せられていた

photo 2002-2


1960年(昭和35年) 秋
 北朝鮮に還ったM君



(何か不都合なことが有るといけないので一部モザイクをかけました)


授業中 簡単な会話ならできると、小さな声ながら自慢げに
短波放送で勉強した朝鮮語で話しかけてきたM君

勉強はあまり得意ではなかったM君がと・・・びっくりした


M君が出発する日は、全校一斉の なべっこ遠足 の日であった
クラスを代表して5人が添川のなべっこのメッカから途中で抜け
担任とバスで駅に向かった


M君一家ともう2家族が帰還する様であったが見送りの人たちは大勢いた

普段は下駄履きで通学していて、時々注意されていたM君は
大人びた立派な革靴を履いていて、中学のつめえりを着ていた
選ばれて旅立つ幸運さを 晴れがましく思っているのが
見送りの子供にも分かった

何人目かの壮行の挨拶の途中、側にいたM君の弟だけがワンワン泣き出した
私もM君の二歳下の弟の頭をなでながら声を出して泣いた
晴れがましい門出には不似合いな泣き声だった

M君の弟のクラスは 楽しみにしていた 全校なべっこ遠足 に参加せず 
クラス全員で見送りに来ていた

10人近くいた帰還する子供たちのうち、ただひとつクラス全員で見送りに来た M君の弟の3年梅組の子たちも泣き出した


向こうでは8階建てのアパートに住むことになっているんだと
自慢げに話していたM君、ワンワン泣いた弟、下を向いて唇をかみ締めて我慢していた目から涙がこぼれ落ちたM君の兄さん

元気でやってて欲しいと祈らずにはいられない

1980年代初頭まで、通り町から5丁目橋の旭川沿いに植えられている「 柳 」が北朝鮮への

帰還記念事業として植えられたことを表す、白く塗られた15cmほどの角柱に墨痕鮮やかに書かれたのが有ったが

見なくなって数十年経った時、秋田市八橋の運動公園のつつじの中に山王大通りに面して、建立されている石碑を見つけた

石碑

誰が再建立したのか、皆目見当が付かない。そして1997年に再建立の意味は・・・?

で、調べてみたら

1997年は、北朝鮮へ渡った日本人配偶者を対象として、初めての里帰り事業が行われた年であった。


また、1962年4月8日、吉永小百合と浜田光夫の好演が光った、映画「キューポラのある街」が封切られた年に、

全貌社より出版された、北朝鮮と帰国事業への批判書としては初期のものに属するもので、

帰還者たちが日本に宛てて送ったものとする手紙を一部匿名で掲載している

『楽園の夢破れて-北朝鮮の真相』が復刻されたのも1997年であった。


1997年、いろいろな想いが交錯した年に再建立された。

2014/7/8 追記





昭和30年代半ば136.4CMの高さで見上げた、

教師と父兄、教師と児童、親と子、そして同じ高さで見つめ合った友と友。

その狭間に存在するものの正体は・・・・。


おかしくも哀しい、貧しくも心温まる珠玉の名作。

かつて飽食の時代への警鐘とされ、そしてバブル後のバイブル、

混迷を続ける現代の教育界 にさす一条の光、など その評価は高い。

南角芳(みなみ・かくほう)の挿絵には

秋田の訛りを感じるとそのファンも多く、画集の出版を望む声も高い。


なお、登場人物や組織名は実在のものとは一切関係ありません。





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