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ざっと数えて、60個の蕾み

 

2016年6月に詠みし歌
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最新更新日  2019年2月28日 (木曜日) 3:05 pm

光画

梅雨合い間ブルーノタウトも見しジャパン 公園通りに会話過ぎ行く

タウトも見たジャパン

プロイセンの建築家、ブルーノ・タウトがナチの迫害を避け、1933年来日し3年半ほど滞在したが

三国同盟の関係で日本政府の公的な協力は得られず、トルコ政府の招きでそちらへ転地し、没した。


日本滞在中 当地も訪れ、雪景色に感動したことが書かれている。


当時この街で彼が撮った写真に、

30年近く前取り壊された建物のがあり懐かしく感じた想いが

公園通りの梅雨の合い間にぶり返した・・・。



【1930年代半ば、アウトが撮った秋田市大町一丁目・平野政吉家の蔵】

レオナルド・藤田の20.5×3.65mの「秋田の行事」という

超大作を15日間という短時間で描いたのもこの蔵だった。

(写真をクリックすると、「気になるBOOKS」へ移動します。)
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【 秋田の行事 】
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後に、平野コレクションを寄贈し、1967年5月から平野政吉美術館で公開されていた。
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2013年9月より、すぐ近くにできた秋田県立美術館に、平野コレクションとして展示されている。
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上の写真をクリックしますと、この写真を撮ったとき詠んだ歌へと移動します。

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光画

鬱々とタネルの闇の深けれど名知らぬひとの笑顔天佑

6/21の朝

「心の揺れ」でシャッターを切ってきたのだが、それらを見返すたびに思うのは

以前撮ったのに華やぎを感ずるのが多い。

閲覧ソフトで、ざーっと見てもハッとするのがある。

うつうつとして、「ま、撮っておこうか」的な気分で撮ったのでさえ

のちに見ると、華やぎや「張り」 ま、勢いともいえるのがあるのには驚く。

上の写真、早朝 猫と散歩して「うん」と思って撮ったのだが、実際はもう少し明るかった。

しかしevを5もマイナスし「イメージ的には、こうだな」と。

こんなのにも、後に華やぎや張りを感ずるのだろうか。

で、その時は、どんな写真を撮っているのだろう・・・。


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光画

路地裏を姿が透けて見えるほど急ぎて往く人在りて梅雨の入る

入梅入りの夜

いつの年も、梅雨は路地裏から始まっていた、と 気がついた今夜。

この写真も、キヨハラだが、このレンズで路地裏撮れば

もう一本奥へ入ったように写るから好き。

だからといって、大通りを撮ったら横丁に写るかといえば これがそうではない。

表通りの華やぎは
、それはそれは眩しいほどの華やぎとして写る。


二十歳のころ、ガッチガチに写ると云われていたNikonのレンズで

固めの印画紙に焼付け、社会派とか名乗ったり、生温さとの摩擦感にこそ

存在の充実を感じていた。それなりに認められ、ささやかな写真展なども開いた。

その写真展に、今の私ぐらいの年齢の方がいらして、四つ切の写真を数枚見せてくれた。

私などとは真逆のトーンの豊富な、そしてあの当時は、サロン調寫眞として地方の写真館に

残っていた技術のソフトフォーカスの写真だった。

「私もあなたと同じ、社会派なんですよ」と言う。

流行りは はやりとしても、とにかく ギッチギチの ガッチガチの でなきゃ

「ナァ~センスッ!」ぼつ!の時代。

同じ新宿で撮っているのに、機動隊もヘルメットも写ってはいなかったのに

「反戦」は明確に写っていた。実体とソフトフォーカスの隙間に

強い意志と深い哀しみが写しこまれていた。


いま、キヨハラで華やぎを撮ると

あの写真展のあの日を思い出すし、実体とソフトフォーカスの隙間に


「活きているということ」の証しみたいなのを写せているか・・・・と、思う。


P/S


下の写真、同じとき ここを見て 奥の細道の

一つ家に遊女もねたり萩と月

と、浮かんできて撮ったもの。

ま、季節や華やかさなども異なるけど、

そう思ったんだししょうがないじゃないかぁ。で、お気に入りの一枚となった。

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光画

内蔵助瑤泉院の相聞歌 「肝」と思えど演じはさせじ

ようぜいいん

忠臣蔵は、相当数の作者のを読んだが

この湯川裕光さんのは、とても斬新な切り口で面白い。

あだ討ちの首謀者を瑤泉院とし、実行者内蔵助と交わした相聞歌で意識の共有を確認。

ここを描いた章が大好きで、そこだけを読むために、歯医者に持っていって

別世界に身を置き治療の怖さを忘れるようにしている。

がぁっ・・・

TVで観なかったので、DVDを買ったのだが

楽しみにしていたそのシーンは原作とは異なる演出だった。

まあ、よく有る事とはいえ、この作者の忠臣蔵の肝だったのに・・・と

軽いショック。歯痛など、体調の良くないときは見ないことにした。

忠臣蔵


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光画

みなづきの暦の外で風浴びて北東北の春の名残りを

水無月の暦の外で

「ベス単フード外し」もどきの、「キヨハラ VK 70R」というソフトフォーカスレンズで、心地良さそうな黒猫さくらを。

なぜか、最近「キヨハラ」で撮ったと言い難くなっているんですけど・・・。


「こよみ」の件だけど、考えてみれば、ま、考えなくても・・・

「こよみ」を見て日にちや曜日などを確認できるんだけど、

最近「今日は何日?」って見ても判らないときがくるのでは、って思いもある。

昨日のこととか明日のこと、世間の様子とかを総合的に判断して、今日は何日と知るのだとしたら

何人か集まって話しているとき、物の名や人の名がのど元まで出て

結局その時は出ず翌日とかに急にその名が頭に浮かびメールなどで連絡し合い納得するのに似ている。


だけどねー、日付が その時出ず 翌日、メールで「昨日は○日だったんだ」となっても

あまり意味が無い様な気も。ま、その情報のお陰で、昨日の翌日の今日が、何日であることは分かるけど。


そんな訳で、我が家ではデジタル時計でメインの大きな文字で日付表示に換えてあるのも在る。

市役所なんかで、「今日が何日」と分かる様に

サイコロみたいなのに数字を書いたのを毎日換えてくれてはいるが

それに頼っている人は、年号もわからないんですけどね・・・。


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銀塩寫眞館で「光画」のPhoto-Worldをご堪能下さい。
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