夏になっても、気が付かないことを祈るのみ。サントリーの生ビールの看板がもう30年以上も前のだという事に・・・。

 

7:30am 氷の向こうの教会から、ラ・カンパネラが聞こえてきた。

 

ほんの数日前まで、運河の水は ひねもす のたりのたりと流れていたのに。

 

この頃から疲れやすくなり、撮りには出なくなった・・・・ 24mmで

 

28mmで。好きになれそうなレンズだなー

 

疲れて動けなくなり、夜間応急へ。点滴で回復かと思ったら、即入院。

壁にかけられたカレンダーには、既に退院した患者の、退院の日の印があったが、私を含めて同室の3人とも その目処も その元気すらなかった。

 

3日目、ようやくベッドから起き上がれた。その時 その部屋が最上階と気付いた。

 

内視鏡的な気分で撮ってみた。

 

一番奥の部屋だったが、反対側の廊下の突き当りまでは車椅子で運んでもらった。



私が、学生時代を過ごした代々木上原の『上原の湯』の真向かいに、秋田の地酒「太平山」を看板にしていた一杯飲み屋があった。

当然、太平山→秋田出身→写真大伸ばし→飾る→酒ただ、となった。ずっとただだった。

悪いなーと思って、この写真のような「冬の太平山」の写真を、これまた大伸ばしして持っていった。

その日から、有料となった。脱サラして開業して間もないマスターも、困っていたんだろーなー、いつ有料の話を切り出そうかと。

こっちも都合悪かったし・・・・冬の太平山を見るたびに、あの頃を思い出す。

今回の写真は、私が入院した8F南病棟の南はじの部屋から、車椅子に乗せてもらい北はじの廊下の突き当たりの窓から撮ったもの。

Photoshopで「Yellowフィルタ使用」としてモノクロ変換した。多分Y-2くらいの効果。

CS5だが、これ以前のバージョンだったら、各色事に明度を調節しなければならなかった。


上原の湯

こんな悪条件下の写真はあるが、肝心の一杯飲み屋の写真がない。

 



これも、同じところから。

 

反対側へ窓へはこれぐらい距離が有ったが、倍以上に感じた。

 

一人では部屋から出れない身としては夜景は、慰みとなった。鳥海山も遠望できた。

 

夕日も綺麗だった。昔遊んだ、川尻総社神社なども見えた。

 

やっと一人で、歩いてエレベーターホールまでいけた。「医者は山を登るが如し」みたいな書があり、患者もだよなーと思った。

 

即、部屋に戻ったが、くたくただった。

 

TOP Photo-28 END

このページのTOPへ戻る

 

銀塩寫眞館 トップに戻る