渋谷区代々木上原 みどり荘 界隈の夕暮れ



この細い道は、手前側で突き当たる袋小路であった。

そこに有った「みどり荘 一号室」で学生時代を過ごした。

「激動の70年」とは言われていたが、周りは大きなお屋敷で いつも静かに柔らかい影を道に落としていた。

毎日、小田急に乗って新宿へ出たのだが、「よぉーし」と気合を入れなければ

この居心地のいい路地から表通りにはもちろん、新宿なんかにゃ行けなかったな~



逆に帰りは花屋の角を曲がりこの路地に入ると、もう家に着いたって感じがしたもんだったが

だからって、路上生活者ってことじゃない 

AsahiPentax SP SuperTakumar で 1970頃


これがそのアサペン


1968年3月末の寒い日、アパートに入った日に「相棒」を記念撮影。

これ一台と標準レンズ一本だけだったので、卓上鏡に映してセルフタイマーで撮った。

だから裏焼きじゃなく、これで正解。

で、このとき初めて、セルフタイマーを使ったが、がらんとした部屋にジーという音が響き

あー、一人なんだな~と、早くも軽いホームシック?

しかし、近くの銭湯へ行って、帰りに牡蠣フライ定食を食って、コーラ500mlビンを買った。

初めて誰もいない自分の部屋に戻ったらホッとし、コーラを飲みながら、明日からの自分を想像したりした。

「軽いホームシック」と感じたのは、腹減ってた だけじゃないかぁ・・

p/s ある時、ここをNikon Fで撮ったら何故か新宿の路地裏って感じに撮れた。

新宿にも、人が通らない路地が在った時代でもあった。何かが違って撮れたな~

それが何んだったのか、今ならわかるんだけど・・・

でもその写真のネガが 無い (-_-;)

「ほとんど毎日通った上原湯」


「ほとんど毎日」っていうのは、当時、学生って毎日風呂へ入るもんじゃないって

決まりが有ったんじゃあなかったっけ? ま、ともかく、毎日は行かなかった。

53円だったなー。で、10個以上一円玉を持っていくと、50円にしてくれた。

今だったら、「水に浮く」とか
「直径20mmちょうど」ってことぐらいでしか注目を

浴びない一円玉もそれなりに意味を持っていた70年代の初めのことだった。

向かいは、秋田の地酒 「 太平山 」看板を上げた、脱サラの店主の開業間もない、
一杯飲み屋があった。