ロバ-ト・キャパ 「時代の目撃者」


現在、現ページの改訂版の制作中です。

「キャパの人間性」や取り巻く人間、特にゲルダ・タローやコーネル・キャパなどにも焦点を当てています。

「ひと」や「生活を感ずる」写真を撮っているワタクシAgXとしては

とても心が動く作業です。

ま、のんびりやりますので、途中経過を除いて見たい方は下のロゴ


を、クリックしてみてください ゚゚゚゚゚-y(^。^)。o0○ プハァー


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ロバ-ト・キャパ 「時代の目撃者」

序言:アンリ・カルティエ=ブレッソン
序言:コーネル・キャパ       
解説:リチャード・ウエーラン    

r-capa     

この写真集は,ロバート・キャパについて新たな側面から光を当てるものである
.ここに収められた傑出した映像の数かずによって,
歴史の中のヒューマニティの真髄に触れることができよう.

ロバート・キャパは
1913年ハンガリーの首都ブダペストに生まれたが
政治的な弾圧を受けてハンガリーを追われた.

スペイン内戦の写真によって初めて世に認められる.

1938年,中国で日本の侵略を記録し
第二次世界大戦中は,ロンドン,北アフリカ,イタリアに。

CAPA
 1943年 ナポリで

1943ナポリで


フランスではDデイのオマハビーチ,パリ解放    
ドイツのバルジの戦いなどの取材を行なう

1948年にはイスラエルの建国に立ち会った

戦場を離れた時のキャパは,
アーネスト・ヘミングウェイ,ゲーリー・クーパー,イングリッド・バーグマン,パブロ・ピカソらの
有名人に囲まれた


ロバート・キャパとジョン・スタインベック
1947年 モスクワ

 

1954年,『ライフ』誌の依頼でベトナムヘ行き地雷を踏んで死亡

Capa-LastShot

ナムディンからタイビンへ向かう道路に沿って   1954年5月25日

これが戦争写真家、CAPAが撮った最後の写真となった

この後、キャパは地雷を踏んで40年の人生を終えた。


CAPA生前最後の写真

生前、最後のCAPAの写真



CAPAの埋葬



墓地に納まった、CAPAの棺

キャパの棺


CAPAの墓標と母ユリア

CAPAの墓標

line

順序が逆みたいだが、キャパの実質的プロ処女作と言われるのが、これだ!

デンマークの学生向けに「ロシア革命の意義」を講演トロツキー

トロツキー
1932年11月27日


レーニンの死後、主流派のスターリンと対立し、国外追放となり

トルコ・フランス・ノルウェーなどを転々として

1940年8月20日亡命先のメキシコで暗殺された・・・



なんと・・・

上の「ネガコマ番号11」を撮る前、3週間ほど毎日新聞の招きで、キャパは日本にいた。

「 戦場写真家 」にとっては、つかの間の休息だったにと思う。

来日予約

そして、東洋の小さな国は、平穏で微笑ましく見えたに違いない。

これからふたりで旅行に出るのか、出張する夫を若い妻が見送りに来たのか・・・

東京の真ん中に小さな幸福が有る。

若い女性の笑顔がそれを表している。

キャパが見た最後の平和

--- 東京駅 1954・April ---

東京駅

そうなれば、Capaの、日本での写真をもっと見たい! という訳で

下の本を、ゲット。



この本は、お奨めです。

キャパって人間が分かる。

で、日本での写真だが・・・



銀座で
1954・4・25 銀座で。


”Stumbling Block”
熱海で
夜の熱海で。1954・4・18
Canon Sb Fujinon f1.2 50mm  H.S.P イルフォード  絞り開放 1/40sec


学校の生徒たち

焼津で

予定に無かった、焼津に寄ったのは、1954年3月1日太平洋ビキニ環礁付近で操業中の

第五福竜丸の乗組員23名が米国の水爆実験で被爆する。

2週間後、母港の静岡県焼津港を意欲的に取材を行なった。

それが証拠に、国産の機材を使うことになっていたが、撮ってきたコンタックスで撮り始めた。

第五福竜丸は、小さく写った一コマしかなかったが、滞在夜予定期間中にも拘らず

「ライフ」の依頼でインドシナの取材へ行った。「再度来る」と言い残して。

彼の感では、「焼津」は間違いなく「VAULE」有るもだったろうし、撮らなきゃならないものだったと思う。

「歴史にもし・・・」は無いにしても、5月25日に亡くならなければ・・・・


彼は滞在中、特に濃い日本茶がお気に入りで、撮影中のとが乾けば、どこにでも飛び込んで濃いお茶を飲んだし

静岡では、新茶と茶器を買って母親に送った。

Goodby 


再び戦場に戻った、CAPA

CAPATaking-Photo



 
上の本『 CAPA’EYE』の帯の後ろ側はこう書かれていた。




キャパは、「 戦場写真家 」と言われてはいるが、このような平和の中に有る小さな幸せや

下の写真集にある子供たちを撮ったのも素晴らしい。



ロバート・キャパの残した感動的で衝撃的な映像のなかに
子どもたちの写真が数多くまじっていることは、ずっと以前から気になっていた
そしてこの写真集に出逢った

ロバート・キャパは
1932年から1954年まで写真家としての全キャリアにわたる
およそ七万点のネガをのこして死んだ


七万の映像のうち
出版されるかまたは死後展示されるかしたのは
およそ五百点だといわれている

その大部分はキャパが取材した五つの戦争
すなわちスペイン市民戦争、日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦域
イスラエル独立戦争、および仏領インドシナ戦争の戦闘または戦闘関連の写真である

彼のよく知られるようになってきた子どもの写真は
一見そのなかのマイナーな一章にすぎないようにみえる


しかし、子どもの写真に注目しながらキャパの写真を見てゆくと
キャパは生涯を通じて、行った先々で子どもの姿を撮るということが
彼のライフワークのなかで、マイナーどころか主要なテーマだったのだと思えてくる



戦争のなかに放り出された子どもたちへの思いやりと

彼らに苦しみを負わせた権力への怒りが見られるし

平和なときの、詩的で機知にあふれる面も見られる

世界中の子供たちが
ずぅ~っと平和な時を過ごせますように・・・

2001-8-20 AgX


弟 コーネル・キャパの写真集



当然のことながら、兄、ロバート・キャパの影響を受けたと思われる写真が多数ある

 

  


『崩れ落ちる兵士』 は、有名だよね。

沢木さんのは、理論的で説得力が有る。

この写真についての、あれこれの風評は、この本によって解明される。


写真に限らず、物事の立証の仕方に興味が有る方も一読の価値は有る。

AgXお奨めの書の一冊でもあります。

キャパの十字架

ゲルダ


恋人 ゲルダ・ポホレルとロバート・キャパ。1936、タローと改名する。

一説には、当時パリで人気の日本人芸術家・岡本太郎からとったとされる。



なんかこういうシーンって、映画 『ゴット・ファザー』 に見たような感じがするね。

ま、時代背景が一緒なので、髪型やファッションが似ているんだろうけどね。

(-_-)ウーム・・・岡本太郎からとったのかぁ・・・。



ゲルタ・キャパ最後の日


1937年8月1日、ゲルダ・タロー(26歳の誕生日でもあった)の葬儀がパリで行なわれた。

戦場で命を落とした初の女性カメラマンとして、翌2日大群衆が

ペールラシューズ墓地まで運ばれるのを見守った。

1937・ゲルダ・タローの葬列

葬列を見送った人々の話によれば・・・

棺のあとに付き添うキャパは、うちひしがれた様子で、

ゲルダの父がトーラー(ユダヤ教の聖典)の一節を唱え始めると、泣き崩れてしまったという。


ゲルダにライカを教えたのはキャパだったし、本名アンドレ・フリードマンという名を1935~36年ごろのパリ時代

通信社とのギャラ交渉のため、アメリカ人カメラマン風のロバート・キャパという名を考え出し、世に出るようにしたのも、ゲルダだった。



スペイン内戦時キャパに同行したが、キャパがゲルダを残してパリに帰ったのち、

1937年7月25日午後6時半頃、従軍中の共和国軍の自動車のステップに乗っていたが

暴走してきた味方のの戦車に激突され押しつぶされ重症を負い、エル・エスコリアルの野戦病院に搬送され手術を受けたが

翌26日朝6時にゲルダは亡くなった。


しかし、キャパは彼女の死を自分のせいを思い込んだようにゲルダの家族も娘のしをキャパのせいにし、責めたし、葬儀後

ゲルダの兄弟は、キャパに腹をたて叩きのめしたという。


ちなみに、この年(1937年)4月26日フランコ軍傘下のドイツ・コンコルド飛行軍団が

バスクの聖都ゲルニカにじゅうたん爆撃を行なった。この爆撃は「世界の新聞の第一面を占領した」と言われるほどの大事件であり、

パリにいたピカソが激しい怒りを込めて壁画 「 ゲルニカ 」 製作した。





「キャパの十字架」は、2013年2月15日初版が出たが


それに反論するように、この本が2014年8月23日に出版された。

キャパの謎

どちらも、疲れる本ではある。





キャパ兄弟、子供たちの世界


Photo by ロバート・キャパ

パリの子供たち

 

Photo by コーネル・キャパ

コーネルキャパ

うーん、これ写真は、とっても良いんだけど、コーネル・キャパの写真集の

表紙に使われているので、後で別のをUPしますぅ・・



ってことで、こんなのをUPしてみました。

JFKの選挙運動中のもの。





何か、こう戦争写真ばかり見てくると、 得体の知らない辛さが襲ってくる。


コーネルキャパは、一家に戦争写真かは二人は要らないだろうと、慈愛に満ちたPotoを目指す。


が、その自愛の対象になる被写体は、戦争に起因する者が多いのも


時代の為せることとは言えやっぱりつらい者が有る。


でも、人間の回復力は凄いとも思う。





幸い、この本には、戦争の悲惨さを直に写したものは無い・・・・故に、感じる。


戦争って・・・・??

血とシャンパン

こうして、いろいろCAPA関連本を読むと、CAPA像が、立体的に浮き出てくる・・・・。

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