作 高井戸欣求 画 南 角芳
まだピアノが珍しかった昭和三十年代なかば、
八丁に住むとみ子の家には、学校にだって一台しかないピアノがあった。
クラスでピアノが弾けたのは、東京から転校してきた潤子ちゃんと、
きじたかれのとみ子だけだった。でもとみ子は「きじたかれ」だった。
他愛もないことを帰りの会などでよく発言するとみ子は「きじたかれ」とよばれていたのだった。
ちなみに、「きじたかれ」を検索してみたら、このページが最初に表示された。
この街に住んでない方には、わからない言葉なので、検索したんだろうなぁー。
夏休み明けの、反省会
(当時は何か行事があるたびに、反省会をしたもんだった。
その後は、「心の鬼退治」というのに代わったみたいだが、
いずれせよ、自他の「美点」を探す事も褒めることも覚えないし、密告する的なことは覚え
ちょっとしたミスを挙げ連ねて、いじめへと発展する環境一因となっていると思う。
教師よ、あなたたちは、心の鬼を退治したことがあるのか!?)
で、最近はディベートなるものが幅を利かせ、とにかく相手を言い負かせば勝ちみたいなことが有り
日本人の自己主張下手をこれで克服しようとしているとも聞いた事が有る。
それって、ディベートを曲解してんじゃないの?
駅のごみ拾いをすれば「単位がもらえるというボランティア」と同じ曲解じゃないの?
で、その反省会で、
当時の僕たちガキたちは24時間反省しなきゃならない様な生活を送っていたが、
女子は違っていた様だ。
とみ子の番のとき、
「わたしは、学校で許されていない映画を、『まつたけ』って映画館に行って
『にっぽん昆虫記』というのを観ようと、していってしまいました。
でも、映画館の前に貼ってある写真を見て、映画は観ないで帰ってきました。」
とみ子は『にっぽん昆虫記』っていう映画をファーブルの昆虫記の日本版だと思ったらしい。
この映画、今村昌平監督、左幸子主演の日活ので、映倫から成人映画の指定を受けたものだった。
とみ子が、理科、それも昆虫採取が好きだという話は、聞いたこともなかったが
それは、ま、いいとして、となりの日活で上映したのだが、
百歩譲ってそれも良いとしても
小学5年生で、「松竹」を「まつたけ」と読むことこそ、反省すべき点だろうに・・・。
当然、その後、「まつたけ とみ子」さんって呼ばれる事になったし
いまだに、苗字は思い出せない。
さて、ここ保戸野小学校では恒例の秋の学芸会が、もう三週間後に迫っていて、
とみ子のクラス、五年藤組では器楽合奏をすることになり、
先生からそれぞれのパートの発表があった。
ところが、
ピアノを弾けるはずの、きじたかれのとみ子は三人選ばれるオルガンから外れ、
その次のアコーディオンの五人にも入らず、その他大勢のカスタネットになった。
僕たちは今年はちがうなぁとは思ったが、先生が決めたことだし、
きじたかれのことでもあったので、それぞれの楽器の練習を始めた。
思いの外 熱の入った三週間の練習も終わり、いよいよ学芸会の朝。
校門には祝学芸会のアーチ、教室の中はクラスごとに、おもい思いに飾り付けがほどこされ、
黒板には、色チョークで絵が描かれていたりした。
僕たちはよそ行きを着て妙にはしゃいでいた。
先生はといえば、紺色のツーピースにフリフリのブラウスを着、
黒い顔には不釣り合いな、うすらピンクの大きな毛飾りを付けていた。
「ウワー、先生ステキー!」
「せんせ、かっこいいなぁ」
「ひゅー、ひゅー」
一通り賛辞を浴びてから、真顔で言った。
「とみ子さんはトライアングル、正二郎君はカスタネットに代って下さい。」
確かに正二郎のトライアングルは、
常にワンテンポずつ早かったけど、生まれて初めて選ばれたのに・・・。
父兄や町内の人たちでいっぱいになった体育館で五年藤組の器楽合奏が始まった。
注意されていた出だしはぴったりだった。
だが、トライアングルの番のワンテンポ前に、カスタネットを持った正二郎が大きな声で、
「チン、チン、カァンカン」「カカカカカッカ カン」「チン」
満場爆笑、大うけだった。
正二郎の父さんは我が子が初めて選ばれてトライなんとかをする晴れの舞台ということで、
奮発して学校そばの「文具ののてや」で紙テープを有るだけ買い込んで投げ、
また回りの人にも配って投げさせているのがステージからもはっきり見えた。
正二郎はと見れば、もう得意満面。
その時彼は僕たち藤組の英雄だった。
「正二郎 手ぇ振れ、手ぇ」
振った正二郎の左手の中指に、カスタネットがぶら下がっていたのを見つけたのは、
三週間「チン、チン、カァンカン」「カカカカカッカ カン」「チン」と懸命に教えた母さんだけだった。
母さんは、はっと息を飲み込んだまま顔の色を失い、父さんは何も気が付かず息子の晴れの舞台の
嵐のような反応にただきょろきょろ見回し、うれしそうにうなずいていた。
僕たちが知っている限りの学芸会で、最高の盛り上がりだった。
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でも教室に戻った僕たちを待っていたのは・・・。
「キーーィッ! 先生恥ずかしいっ!」
「きーっ!どういうつもり!」
「きーっ、ききぃー」
やがて暗くなった教室に電灯がつけられた。
とみ子が泣きながら立ち上がり、
「あたしのうちに、みつまめの缶詰なんか無ければ良かったんです」と、涙声で言った。
とみ子の母が、ピアノがやれるんだから、オルガンかアコーディオンに換えて欲しいと、
缶詰を持って先生に頼みに行った事はクラスのみんなが知っていた。
今では考えられないことだが、あのころはこんな事がよくあった。
かたや、家でトライアングルの練習中の自転車やの正二郎は、
父親に「うるせ!」と下駄でたたかれ、
母親が、「初めて選ばれたんだもの、い〜い、やれ、やれ
。」と
珍しくかばったことも知っていた。
教師と生徒、教師と父兄、信頼もあったし、裏切りも確かに存在したのだった。
五年藤組は先生も泣き出した。
僕たち五十六人の藤の子は、
正二郎がトライアングルをやりたかった気持ち、
先生と缶詰の関係、電気がつくほど遅くまで残されていること、
厳しかった三週間の練習のおかげであんなに拍手が多かったこと、
でも、先生が泣いていること、
そんなことが五年生の頭の中で滅茶苦茶に混ざり、
わーわー泣くしかなかった。
収拾がつかなくなってきたとき、
正二郎が、
「みちまめのかんじめ だったながぁ、食ってがったな。」
と、ポツンと言った。
一年半後、中学生になった藤の子は、同級会を開いた。
例によってお菓子屋のひろ子が父に頼んだ
150円会費の割には豪華な菓子包みがみんなに配られた。
今日はそれに当直室から借りてきた、不揃いの茶のみ茶碗が用意されていた。
「今日は久しぶりにみんなに会ったので、先生、みつまめをごちそうします」
小さな缶づめ半分ずつのみつまめが入った茶碗が配られた。
ワーワーキャーキャー食べていたみんなは、シーンとなった。
先生の顔が涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「正二郎も来れればよかったのに・・・」
正二郎は今日、欠席だった。
きじたかれのとみ子の言葉には、だれも応えなかった。
「チン、チン、カンカン」「カカカカカッカ カン」「チン」
正二郎のトライアングルが、
中学生になった藤の子には聞こえたような気がした。
そしてあの拍手とあの涙の意味を、
五年藤組のみんなは初めて知ったのだった・・・・・。