久保田城 初代城主 佐竹 義宣公の像

久保田入封以前の佐竹氏は常陸一国54万石の大身大名であったが、関が原の戦いで豊臣方に内通したという事で、移封させられた。

石高も告げられず、常陸に立ち寄ることも許されなかった。石高を告げられたのは、徳川三代、家光の死後といわれている。

 



幕府に気を遣い、一般の城にある、石垣・天守閣はなく、本丸も平屋で、城を取り囲む塀も白壁ではなく栗の木だった。

唯一石を積んであるのは、本丸正門に至るわずかな長さで、その段数は多くて四段、石の質も悪かった。

 

 

正門は最近復元された。正門石畳から白州を望む。

 

 



『二の丸跡』  うーん、これを撮ってもね~  ま、人それぞれですからね。

 

 

正一位 與次郎稲荷神社は、本丸にある。

 

 



與次郎稲荷には、いろいろな伝説がある。なぜ「正一位」なのか、なぜ本丸に有るのか・・・

いつか別項を設けたいと思う。

 

 

周りは鬱蒼としているが、與次郎稲荷には陽が当たる。

 

 



そう、その通り。お作法ですから、この機会に身につけましょう・・・て、誰に言っているんだろ。

 

 



最近の絵馬は、とってもカラフル。

 

 



桜の名所でもある、城址は千秋公園と呼ばれて久しい。

花が無いとき、老木の種類を、新しく出た枝の模様で判断するのはAgXだけかもしれませんが・・・・。

 

 



「公園」となりゃあ、芸術品も置かれ 「うーん」  と解ったような顔をすることも必要になってきます。

 

 



子供は何故か水が好き。公園中走り回っては水を飲み、を繰り返す。

 

 

子供の頃、従兄弟と遊んだ、日吉(ひえ)八幡神社



秋田県秋田市八橋(やばせ)にある、日吉(ひえ)八幡神社の境内の外に(境外?)に、

ひっそりと。赤いカップは不似合いだけど、昭和37年建立、ま、江戸時代のでないからいいかぁ

 

丙申 卯月 吉日



本殿の裏、綺麗に草は刈り払われていたが・・・。

もう一手間かけてもよかったのではと思う。

ま、「これが戦国時代のドサクサで、倒された」 とかの記録でも在るなら話は別だが。


丙申の年
1千年紀 2千年紀 3千年紀
  • 36年
  • 96年
  • 156年
  • 216年
  • 276年
  • 336年
  • 396年
  • 456年
  • 516年
  • 576年
  • 636年
  • 696年
  • 756年
  • 816年
  • 876年
  • 936年
  • 996
  • 1056年
  • 1116年
  • 1176年
  • 1236年
  • 1296年
  • 1356年
  • 1416年
  • 1476年
  • 1536年
  • 1596年
  • 1656年
  • 1716年
  • 1776年
  • 1836年
  • 1896年
  • 1956年
  • 2016年
  • 2076年
  • 2136年
  • 2196年
  • 2256年
  • 2316年
  • 2376年
  • 2436年
  • 2496年
  • 2556年
  • 2616年
  • 2676年
  • 2736年
  • 2796年
  • 2856年
  • 2916年
  • 2976年

上の表のどの年に、寄進されたのだろう。



子供の頃は、何の躊躇もなく行けた道だったが。

 

湿度89%

携帯が「大雨警報発令」を伝えてきた。 降る前に帰らなくては・・・・

 

NIKKOR  f 50mm  F1.4 MF 開放 AE ISO400

赤いカップの写真以降 

NIKKOR-Q  Auto f135mm F2.8 MF  F2.8 開放 AE ISO400

 

TOP Photo-21 END

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