「日の丸の小旗」

第16回国民体育大会(1961年)が開催された時、

菊のご紋を付けた車に乗る方が家の近所をお通りになるというので、

小学生は数日前から準備していた手作りの日の丸の小旗を振ってお迎えすることになった。

小旗も持ったが、この際だから写真も撮ろうと、この頃買って間もなかった、ヤシカラピードを持参。

城下町ってこともあり、城に向かう道はクランクになっていて攻め込む敵の勢いをそぐようになっていた

お陰で、江戸時代なら「無礼者ぉ」と切られそうな場所だったがスタンバイ OK

まずは、先導の白バイをパチリ

それにしても、こんな時にコマ送りのミスが起きるとは・・ YASHICAさんしっかりしてよぉ

昭和で、良かったよお、ホント江戸時代ならこれだけで、遠~い島へ流されただろうな、きっと


 

先導の白バイから、「どうして、そんなに」ってほど離れて、県知事の車が見えてきたのでもう一枚。

もうすでに、小旗を振り始めた人(写真の左下)もいた。

じつは、これ、同級生の自転車屋のショウジロー君なんだけど、用意した小旗を学校にいる時

もうすでに破ってしまっていて、先生に急いで日の丸を書くようにと言われてもらった白旗を振っていた


「書くわきゃないよ、ショウジローだもの」「先生、甘い、あまいっ」

翌日の反省会で白旗の件をしかる先生への、ショウジローをクラス全員でかばう言葉だった。

ちなみに、写真、車の右がショウジロー君ち。


旧国道と呼ばれたこの道は拡幅工事途中だったが、舗装だけは終え、この日迎えた。

そんな訳で家並みには段差が有るが、まっすぐ並ぶように指示された町内の人たちのお陰で

道は細いが、すぱーっと、「新品」に見えた。


知事の車は立派だったなー


知事の車に続いて、菊のご紋を付けた車が近づいてきた。

担任の女先生は、「ぼおし ぬいでぇ 旗振りなさいっ、はたぁー」と血走った目で叫んでいた。

ショウジロー君は、もうすでに白旗もなく、棒だけになっていたので、「投降」はしないですんだ。


古いけど、車内は時計がセコンドを刻む音も聞こえるほど静粛性に優れているって聞いたけど

棒だけを振っている「ガキ」の横で、血走った目で髪を振り乱して何か叫んでいる「女」の姿を

あの車に乗っていた方はどう思ったんだろうね・・・

せめて、叫ぶ声でも届けば、血走った目、振り乱した髪の意味を分かってもらえただろうけどね。

でも、棒だけを振る意味は理解できなかっただろうなー


ま、そんなこんなで、2秒くらいで
ボクラの日の丸の小旗振りは終わったが

先生はぐったりしていたし、ボクタチは妙な虚脱感だけが残った。



ピント目測式のヤシカラピード、「」のマークで常焦点で撮影したつもりだが

「ぼおし ぬいでぇ 旗振りなさいっ、はたぁー」と血走った目で叫ばれている状況下、それを

確認出来たとは思えない。しかし、ネガの保存の悪さなども有り、かえって、それが臨場感を

醸し出してい・・・ないなー。生徒たちはもちろん、町内の母さんたちにも広がった あの、

血走った目、振り乱した髪の藤組の女先生の勇姿は、その後卒業まで、語られたもんであった。

写真を撮る前後、3秒くらいづつ、音がとれるカメラだったら臨場感100%だった な。