昭和拾六年(1941年)五月二十三日 川口部落七拾六戸焼失

六月一日 興亜奉公日ノ眞景


関連新聞記事



いずれも、新聞は「秋田魁新報」

秋田市立図書館「明徳館」のマイクロフィルムからの拡大コピー


記事は不鮮明で読み取りにくいが、隣接する記事の見出しもあわせてご覧になり

昭和16年の初夏の社会情勢をご想像願えればと・・・


ここにも 「建前としてのハレの日」 を垣間見ることができる


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戯数座標・ぎすうざひょう・銀塩写真館・黒川芳南・gisuzahyo



5月24日 第一報 右上の「カーテン再奉公」が偶然にも、関連してくることになる


5月25日 左の力士は大関の昇進を決めた秋田県出身の照國(てるくに)


5月26日 左、上方に魁新報社の営業部次長が、罹災者にバケツを一個ずつ配ったことを報じている


5月27日 救済の呼びかけが始まった。北海道には雪が・・・


5月30日 中央の写真入りの記事は
『第一報 右上の「カーテン再奉公」』 での「産業戦士への贈り物」を

罹災者への援助物資として半袖の開襟シャツに縫い上げた、本荘高女は現、由利高校。


5月31日 この記事で、国旗の件が判明 増産増産で田植えの記事が多い


6月1日 あの写真が撮影された日 

災禍復興のため農作業が著しく遅れたので、食糧増産上憂慮すべき事態ということで、奉仕班を派遣という記事

6月2日 申告制になっている綿織物の在庫が警察で一斉調査したところ、申告数より大幅に多かった。

そこで、川口の罹災者に優先的に販売するように本荘署が斡旋することになったという記事。


それとは別だが、「地底戦車の怪人」もう売り切れたろうか・・・



6月3日 救援物資が続々届き始めた。郷土の三勇士とカイゼルひげで知られているカイゼル皇帝の死も伝えている

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