「ダゲリヨティープ」の渡来は写真が発明されたとされる1839年から約10年後だった。
しかし、日本では、その前から「どんくる・かあむる」で 写真機の前身「カメラ・オブスクーラ」という
スケッチの補助器具で写真に関連する知識はある程度は有った。
「どんくる・かあむる」はオランダ語で「カメラ・オブスクーラ」を
「 donker kamer 」 と
いうことから来ているのだろうが、目の前のものがリアルに写るということで「写真鏡」と名付けた。
それ以前に、円山応挙の「眼鏡絵(めがねえ)」や、浮世絵師 奥村正信は「浮絵(うきえ)」など
、
「 photography 」発明以前に、迫真的で、写実的な描写がすでに画家たちの心をとらえはじめていた。
この辺の背景は、ヨーロッパと何ら差異が無いともいえる・・・世界的に科学の飛躍の機は熟していたのだろう。
すでに、『真を写す』事に向かっていた故に「どんくる・かあむる」に「写真鏡」と名付け
「 photography 」を「光画」とせず「
寫 眞 」としたのは当然のことだったに違いない。
しかし、ワタクシAgXとしては、「光画」という思いで撮っている。
カラーは、光が描き、モノクロは影が描くという感じでね (^^♪
のちに、「 photography 」を「
寫 眞 」と訳したことによることに異論を唱える人もいた。
同じ写真をキャンプションにより見る側に逆の意味にも伝えうるので「真を写していない」というものだった。
しかし「swan」を「白鳥」と訳したのち 「black
swan」というのがいると知ったとき
平気で「黒鳥」と訳す しなやかさが日本人にはある
「black swan」が「黒鳥」なら「swan」は「鳥」ということになるとか、逆に「swan」が「白鳥」なら
「black swan」は黒と白が混じった「灰鳥」とか「白と黒の牛柄のぶち」ではなければならないのでは
などという人はいません。 (注、皆無とは言い切れませんが・・・)