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*井上孝治氏の事・追記*
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私が、最初にその井上孝治氏の存在を知ったのは、「井上邸新築事件」の時。
何でも、息子夫婦が家を新築して、老夫婦の旧居の荷物を整理するのに押入を開けてみたら、
とんでもない数量のネガフィルムがブリキの衣装箱の中から現れて、余計な荷物なのでゴミに出したら、聾唖者の父上が激怒され、
「死んでもコレは捨てない!捨てるなら俺を殺せ」
と言い張っていったんゴミとして出したネガをゴミ収集所から持ち帰り、処分が出来ずに息子の井上氏が大変困っている。
と、いうのが当時カメラマンの友人から噂として聞いた話。
「まあ、年寄りは大抵、モノを捨てるのは嫌がるし、色々あるんだろうけど、大変ねえ」が正直な当時の感想で、
「井上さんもせっかく有名建築家に依頼して自邸を建てているのに、
ゴミに出すようなものまで年寄り夫婦が新居に持ち込むのはイヤだろうな」ぐらいにしか思ってナカッタ。
とにかくこの新築の家も、東京の建築家に依頼したは良いが、紆余曲折、色んなトラブルを抱えつつやっと出来た家で、
「家を持つのは大変」と周囲をビビらせる事になるワケですが、それは又、別の話。
ところが、たまたまの偶然で、地元百貨店のキャンペーンにこの「一度はゴミとして捨てられたネガの写真」が採用され、
これをきっかけとして井上孝治氏はカメラマンとして一躍、世界の舞台へ躍り出る事になるワケですから、やはり、
人生は思いがけない事の連続。勿論、アマチュア写真家の世界では戦後ずーっと有名人であった井上孝治氏。
しかし、この一連のネガフィルムの存在することを、家族すら知らなかった。というのが当時の私の一番の謎。
「何故だろう?単に趣味で撮ったモノだから?」孝治氏はコンテスト用にはドラマチックで力強い、
いわゆる「芸術写真」を出品し、数々の賞を受賞し、「コンテストあらし」の異名をとっていた。
そして、一方では、この一見スナップショットにも見える、町中の市井の人々の日常の営みをモノクロで撮っている。
「このギャップは何?」謎は深まるばかり。しかも、その「想い出の街」という、
のちに一冊の写真集にまとめられた「一度はゴミとして出されたフィルム」に写っていたモノには、
「あきらかにファインダーを覗かずに、被写体に気づかれぬようにしてシャッターを押した」とおぼしきショットも見受けられる。
「どうして、そこまでするの?」それは、さりげない日常の動きや表情を孝治氏が大切にしたかったからだろうな。
とか、被写体に撮影を拒否されたりするのがイヤだったんだろうなとか。
理由は色々思いついても、その、孝治氏の行動の根本がよく理解できない。
何故こんなにも沢山のショット?(数万枚単位である。まだ今現在、全作品の焼き付けは終了していない)
何故、家族にも秘密?何故、コレが宝物?しかし、ある時、私は理解した。
「多分、コレは彼の日記だった」
今春、NHKで井上孝治氏の足跡を追うフランス人女流映画監督のドキュメンタリーを放送されたときに、
初めて知ったが、孝治氏は大変に記憶力がヨカッタらしい。
フィルムの一コマを見るだけで撮った時の天気気候、カメラの絞りやシャッタースピード、何枚シャッターを押したか。
どういう状況で撮影し、どういう印象を持ったか。と云うのを事細かに記憶していたと言うのだ。
孝治氏にとっては、きっと。シャッターを押すことは呼吸することのように自然な事だったんだろうな。と思える。
町中をカメラを片手に歩いたとき、フト気がつく「ちょっとした人生の日常の一瞬」
何年かたてば忘れ去られてしまう、さりげない日常の風景の中のほんの一瞬の出来事。
それを孝治氏のカメラは鮮やかに切り取る。その時の孝治氏自身の思いや共感。
人生への力強い肯定なんかと共に。
本当に大切な事は今、目の前で起きているのに、ちっとも気がつかないまま日々あくせくとを過ごしてゆく私たち。
もちろん、記録ナンカしやしない。
ただ、何十年も経って、ボンヤリと美しい夢のように音楽のように思い出すだけ・・・・
流れる時間の中で全ては浸食され、変化し、流転してゆく。
でも、この孝治氏の写真を見ると、自分の中の輝くばかりの幸せが今、
自分の前に、ココにあるということを思い出させてくれる。
日常の動きの中に忘れられない大切なモノが隠されていることに気づかせてくれる。
あるイミでは、このあまりにも新鮮な眼差しは「たまたま地上に降りてきた天使がつけた観察日記」でもある。
全く、この、着眼点、視線たるや、「ヒト成らざるモノの仕業」きっと孝治氏もコレが自宅の押入にあると思えば心強かっただろうな。
全ては古びて、全ては移り変わり、人は死んでも「変わらないモノはある」それを自分の手で証明していたワケだから。
そして、人を愛したいと言う気持ちが人類普遍の願いであることまで証明しちゃったんだから・・・そしてネガフィルムは、
作者本人に寄ってゴミ収集所から救われた(たまたまその日、ゴミ収集車が来るのが遅れたから)オカゲで、
こうして作品は永遠の命を得られた。
私たちは偶然の恩恵のオカゲで感動を、彼の眼差しを分けて貰えている。
彼の視線は限りなく全てのモノに優しい。人生にヘヴィさを感じたり、絶望したり、息切れしそうになったときには、
写真集「想い出の街」を観よう。
そこにははかなくもけなげに力強く生きようとする、アナタ自身の姿を見つけるだろうから。
井上孝治さんは、3歳で失聴したろうあの写真家で、93年に亡くなっています。
展覧会には、昭和30年代の福岡(井上さんが写真館を営んでいた地元)の日常生 活の風景写真が並んでいました。
亡くなる直前にフランスの「アルル国際写真フェスティバル」に招かれ、
「アルル
名誉市民」に認定されたとのこと。
若いころから国内のコンテストの受賞経験をもち ながらも生涯アマチュアだったということです。
晩年になって、福岡のデパート・岩田屋のキャンペーンポスターに
30年前に撮った写 真が採用されたことがきっかけで 、
最近になって写真集が出版されたり個展を開いたりということになったらしい。
とても不思議な感じがします。
彼の写 真は、日本のアンリ・カルティエ=ブレッソンとも言われていたそうですが 、
ご本人は当初、木村伊兵衛氏に憧れていたと写真集に書いていました。
私は、東京
を撮った桑原甲子雄氏の写真も思い出しました。
撮られているのは、街で見付けた日常生活のヒトコマばかり。
例えば、雨になるとぬ かるむ、アスファルト舗装のされていな い道路。
鼻水垂らしてたり、裸足で歩いてたり、まっぱだかで川で遊ぶ 子供たち。
売り物の氷屋の氷をこっそり舐めてる男の子。
片手に泣いてる子供、片手に三輪車を持った、ゴム長靴履いて るおまわりさん。
夫婦と小さい子、親子三人でマイカー(自転車)に乗ってると ころ。
たくさんいる小さい兄弟をリヤカーに乗せて自転車で走る兄、 とかだ。
実際、自営の写真館を昼間は奥さんに任せて、毎日のように街に写真を撮りに行っ
ていたそうだ。
また、地元のろうあ運動のリーダー的存在でもあった。
たんたんと生活している人たちの暮らしがとても自然に感じられて、胸がしめつけ られる想いがした。
被写体の肌の弾力や、肉体の発する体温まで感じられる、やわら
かい写真。
強さというのとは違うけれど、
写真を観ていて「生きる」という事に肯定 的な感じがしたのは、作者の想いかもしれないなと思う。
写っている人は、みんなニコニコ笑っている。特に子供が、警戒心も無くイイ顔だ 。
きっと撮ってる人もこういう顔をしていたんだなと思う。
構図もいいけれど、とに
かく写っている人がいい。
観ていると、きっとこの作者は被写体それぞれの幸せを願 って撮っていたんだなあということを感じられる。
紹介される時に、特に「ろうあ者」という言葉がついてまわってしまうけれど、
それを読むと、もともと写真は作品としては音のない世界の表現じゃないかという反発
心も起こる。
でも、逆にそう言われてこの人の写真を観ると、説明のつくことも確か にある。
余分なものが遮断されている感じ、風景を切り取る眼に音という情報が入り
こんでいない感じ。
聞こえてしまう私には、曖昧にしかわかることができない、
とい うか文字表現できないけれど、写真を観ればたぶん伝わってくると思う。
ちょっと話がズレますが、12月24日まで東京オペラシティで開催されている
「エゴ
フーガル:イスタンブールビエンナーレ東京」展には、ユジャン・バフチャルという 盲目の写真家の作品がある。
盲目の写真家(!)ということに大いに驚いてしまったわけですが、視覚の無い人 の視覚芸術って?
チラシには、「モデルや補助を頼りに写真を撮り続ける」としか
無いので、よくわからないけれど、
写真家になった後に事故か病気で失明してしまっ たということなんでしょうか。
どちらにしても、(こういうことはあまり言いたくな
いけれど)眼が見えない人の撮った写真という方が、
ろうあの写真家を特別視するより想像に難いです。
この展覧会は、忍足亜希子さん("おしたり"と読む・ろうの女優さん)の
主演映画「アイ・ラブ・フレンズ」の公開を機に開かれた展覧会でした。
映画の中でも展覧
会の写真が登場するそうです。(まだ、観ていないの)
会期も短く、観る機会も少ないと思うので、写真集「思い出の街」「こどものいた 街」(河出書房新社)と、
評伝「音のない記憶-ろうあの天才写真家 井上孝治の生
涯」(黒岩比佐子著 文芸春秋刊)で、
是非観ていただきたいです。
写真集のあとがきに、私の人生観は写真をみていただければわかります、というこ とが書いてあった。
優しい人だったんだろうなと思う。
プロフィールの写真に、何故か37歳の時の写真が使われている。
作品を撮った、 昭和30年代のころの自分ということなんでしょうか。
ベレー帽を被って、タバコを
くわえ、紗に構えて、
オシャレにダンディーに写っている、何だかエルスケンみたい だ。
観にいった時に、たまたま忍足さんが観に来ていた。
さすが女優さん、当たり前だ けど、ひっじょーに美しかったです。
自慢じゃないけど、私はちょっと手話ができる
。
でも、この"ちょっと"がアダで、逆に恥ずかしくて話しかけられなかった。
サイ ンももらい損ねる。いつものずうずうしさのかけらも出なかった。
ちぇっ残念~。画
廊のサイン帳で、忍足さんの名前の下に自分の書けたということで自己満足。(笑)
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