昭和の風景

ホント、こういう写真を見ると、子供の頃を思い出しますね。

あの頃は、活気と希望があったよね~、「ばね」っちゅうかなんちゅうか、弾むようなエネルギーが。


今と比較して、「充たされないもの」が何倍もあったけど

それは普通のことで、「くふう」って事は大人も子供もしていた。

中でも、子供の心と頭のしなやかさは、それこそ何十倍もあったね、今と比較して・・・。

後年、「個性化教育」とか「ゆとり教育」ってのをやったけど

そんなことは教育されて発芽するもんでは無いし、ね。

「発芽」も何も有ったもんじゃない。

なんせ、芽が出る種子が無いんだもの。

「個性化教育」っていうのは、団塊の世代の個性的なパワーを見てそう思ったんだろう。

文部省(現、文部科学省)のお役人やガッコのセンセが考え付いてんだろうけど

その人たちの子供時代は、もう、豊かな時代だったろうし、人数も少なかったので

個性なぞ発揮しなくても、皆主役になれたろうし

で、親たちは、余裕も有るし、「子供の教育」に全力投球。

「塾大乱立時代」となり、教育は塾、しつけは学校、親は塾の受講代稼ぎ、と

シッチャカメッチャカな、任務分担となってガッコのセンセ大弱り→学校大荒れ。

で、文部科学省は、原点に立ち返り、教育を学校でしよう、でも落ちこぼれも無くそうって訳で

「ゆとり教育」と銘打って、例えば、円周率の3.14を 3 って事にしようと決めたり・・・

これって、少数第二位までの計算を学ぶためにそうなっていたのに、ね。

だったら、3 じゃ無く、パイにすればよかったのに・・・。


なんてな事を、考えさせられたりもするこの写真集。

そして、培うべき時に培わなかった人間は、後付しても

培うべき適齢期を逃しちゃうと、頭では理解はできるだろうけど 心が付いていけない。

つまり、感性の累積が無いんだなー、これが。


知人に写真を教えてくれって言われて、

教えたけど、 わからないんだなぁー気の毒だけど。

こんなところにも、出てくるんだよね。

で、結局、その方は写真をやめましたけどね。

ま、この方は、地方の工業高校で、勉強もせず部活に専念したのはいいけど

三人兄弟の末っ子で、上ふたりも、同じ学校で同じ部活。

一年生って言ったって、O.B.と先輩が兄だったので

結局、先輩後輩っていう関係なども学べず、一年生の時から

お山の大将で、親のしつけのせいも有り、末っ子わがまま、そのままで社会へ出て

「 直ぐキレル 」人間となり、現在に至るが、その子供もそうなると思うけど

これって、もはや犯罪じゃないかなぁー・・・とも思う。

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